首都圏で暮らす女性(46)は、給与明細を見る度に怒りで震える。非正規雇用の仕事を転々とし、年収が300万円を上回ることはなかった。それでも、所得税や社会保険料が容赦なく差し引かれていく。
不妊治療で公的保険の適用範囲が広がったり、子育てで時短勤務をする人への現金給付を検討したり。若い世代の支援に公金が使われるニュースを見聞きすると、こみ上げるものがある。「就職氷河期世代の私たちの苦境は自己責任とされ、何の手当てもない」
政府が「異次元の少子化対策」を推し進める中で、割り切れない思いを抱えた人たちがいます。生活苦を抱えて結婚や出産を考えられなかった氷河期世代の思いとはーー。識者は「目の前の理不尽を一つひとつ解消することこそが、最終的に少子化を食い止める近道になる」と話します。
就職活動では200社に資料を請求し、面接にこぎ着けたのは1割ほど。メーカーに職を得たが、その後は派遣会社に登録し、数年ごとに職を転々とした。簿記や労務の資格を取ったり、ITや英文会計についての知識を深めたりしても、待遇は上がらなかった。
仕事先で知り合った男性と40歳で結婚したが、夫の収入も不安定で、子どもをもつことはあきらめた。体外受精は高額で手が出ず、自治体の補助も年齢制限で受けられなかった。
国の規制緩和で大量に生まれ、増え続ける非正規雇用の一人として、「使い捨てられてきた」との思いが募る。「子どもをもてなかったのは、私だけの責任なのでしょうか。年をとり、ますます国から見捨てられていると感じる」
「ずっと社会からはじかれてきたことがつらい」
東北地方に住む男性(55)は、結婚したことがない。30代の頃は大学の教員を目標に、非正規雇用で働いた。恋人がいたこともあったが、将来の展望が見えず、家庭を築くことは考えられなかった。
30代の終わりに教員をあきらめ、勉強を重ねて39歳で難関の国家資格試験に合格。不動産登記を代理で申請する事務所を営む両親らと働き始め、やっと貯金もできるようになった。初めて「自分も家庭を築けるかも」と思うようになった。
政府の少子化対策は、20代、30代が対象で、自分は蚊帳の外にいる気がする。「若い頃は結婚したくてもできなかった。ずっと社会からはじかれてきたことがつらい」と話す。
「国家の存続のために削り取られてきた人権を守れ」
1990年代に規制緩和が進んで非正規労働者が大量に生まれ、増え続けてきた。総務省の労働力調査によると、2022年時点で男性が669万人、女性は1432万人。17年の調査に基づく政府の分析では、非正規雇用の30~34歳の男性に配偶者がいる割合は22・3%。正規雇用では59・0%で、倍以上の開きがある。経済苦や将来への不安は、未婚、晩婚化につながり、第3次ベビーブームはやってこなかった。
政府が3月に公表した少子化対策の試案では、経済的な不安定さも少子化の主因の一つと指摘。子どもを産み、育てることをあきらめないように、若い世代の所得を増やすことが必要だとしている。ただ、こうした状況は長く続いているのに、これまでの手当ては乏しかった。
国家と家族の関係性を研究する富山大学非常勤講師の斉藤正美さん(社会学)は、生活者ではなく、国家の繁栄を考えた政治が続いた結果、非正規雇用が拡大してきたとみる。「いま求められているのは、国家の存続のために削り取られてきた個人の人権を守るという意識ではないか」
同一価値労働同一賃金は達成されず、女性の働き損を生む「年収の壁」や、女性が出産後に大きな仕事を任されなくなる「マミートラック」も残っている。斉藤さんは「こうした目の前の理不尽を一つひとつ解消することこそが、最終的に少子化を食い止める近道になる」と話す。(伊藤恵里奈、長野佑介)
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル